Opening

「ドンヘ、良い子にして待っているんだぞ。そうすれば、必ず素敵な人が迎えに来るから」

ご主人様はドンへの頭を優しく撫でながら、何時もの様に優しい口調でドンヘに問いかける。でも、ドンへはご主人様が何を言っているのか、一切理解が出来なかった。それは、ドンへに理解力が無いからという訳では無い。単純に、素敵な人ってご主人様以外いる訳ないのに、ご主人様は何を言っているんだろう。って思ったからだった。でも、ご主人様がそういうのなら、ずっと待ち続けなきゃいけないよね。

—–うん、俺ずっと良い子にして待ってるから、早くお迎えに来てね。

ドンヘは何時もの笑顔で、ご主人様にキャンって鳴く。それは、解ったよ。っていうドンへの意思表示だ。ご主人様はドンへの合図を聞いた後、最後にもう一回ドンへの頭を撫でた。ビルとビルの間の狭い路地に、段ボールに入れられたドンヘ。なかなか人目につかない場所でただ1匹、ずっとご主人様が戻ってくるのを待ち続ける。

「やっべ!!遅刻する!!」

朝起きて、枕の横に置いてある携帯電話を見て驚いた。しっかりとアラームもセットしているのに、それに気付かないくらい疲れて寝ていたなんて、やっぱり深夜遅くまでゲームをするのは控えなくてはいけない。小柄ではあるけれど、朝食はしっかりと食べないと活動する事が出来ないヒョクは、取り敢えず台所を漁って紙パックの牛乳を取り出す。部屋で飲んでいる時間も惜しいので、サッと着替えて走りながら飲む事にした。パンの1つでもあれば良かったのに、よく考えたら走りながら牛乳ってどうやって飲めば良いのだろうか。牛乳を持ってきたことに対して後悔をし始めた時、ヒョクはちょっとした脇道を見つけた。

「ここは‥‥‥確か近道だった気がする」

迷っている暇なんて無かった。普段は絶対に通らない脇道にサッと入ると、目の前に中くらいの大きさの段ボールが目に入った。正直言って通るのに少し邪魔で、何できちんと畳んで捨てないんだろうと思いながら、目線を段ボールの中に向けると、ぐったりとして倒れている子犬を発見する。

「うわっ‥‥‥え?マジかよ、死んで‥‥る?」

こんな言い方をするのは非常に不謹慎ではあるが、朝からイヤなモノを見てしまった。しかも急いでいると言うのに、その仔犬を一目見ただけで、ものすごく気になってしまうなんて。いや、そんな事をしている場合ではない。早く気持ちを切り替えて、会社に行かないといけないんだ。頭では急げって身体に命令をしているのに、ヒョクは何だか子犬があまりにも可哀想で、思わずその場で立ち尽くして、段ボールの中をじっくりと覗いてしまう。そっと頭に触れて、優しく撫でると、仔犬がピクリと反応をした。
どうやらこの子犬は、体力が既に無くて、疲れ切っているらしい。でも、取り敢えず生きているようだ。なんだろう、初めて会うのに、生きている事がものすごく嬉しくて、愛おしい気持ちになる。指で優しく首元を撫でると、くすぐったそうにして首をふるふると動かす。その反動でヒョクの指に金属製のネックレスが当たった。何だろうと思って首元を良く見てみると、なんともオシャレな首輪のネームプレートの部分に「Donghae」と書かれていた。

「ドン‥‥ヘ。お前、ドンヘって言うのか?はは、可愛いな‥‥‥」

「う‥‥キャン!!」

ドンヘと名前を呼ばれた子犬は、元気よく吠える。段ボールをよく見てみると、この子を宜しくお願いします。という一文を見つけた。嗚呼、やはり考えたくは無かったけれど、どうやらドンへは捨てられてしまったらしい。どんな事情があるにせよ、こんな所に置き去りにして置いて、後は宜しくなんて酷いにも程がある。ヒョクが険しい表情で段ボールを見つめていると、急にドンへが飛び出してきて、ヒョクの足にしがみつく。その瞬間に持っていた牛乳を落としそうになって、我に返った。

「いたた‥‥あ、そっか、ドンヘはお腹が空いているんだよな」

「くぅ、くぅ‥‥‥」

どうやらヒョクに何か言いたいことがあるのではなく、ヒョクが持っている牛乳をよこせと必死にアピールをしていたらしい。その姿がなんとも健気で、一段と切なくなってしまう。ドンヘは何時捨てられたんだろう。もしかして、もう何日も此処にいるのでは無いだろうか。独りぼっちで、お腹を空かせて、戻ってくるはずの無いご主人様を待ち続けるなんて。考えれば考える程、可哀想で仕方ない。
ヒョクは持っていた紙パックの牛乳を、段ボールの中に置いてあったご飯用のお皿にそそぐ。すると、余程お腹が空いていたのだろう、ドンへがお皿に飛び込む勢いで豪快に牛乳を飲み始めた。一生懸命ペロペロと牛乳を飲んでいる姿を見て、ヒョクは一つの決心をした。ポンと優しくドンへの頭を撫でながら、小さい声で優しく呟く。

「ドンヘ‥‥‥この牛乳を飲んで、もうちょっとだけ良い子で待っててくれるか?仕事が終わったら、絶対に迎えに来るから」

「‥‥‥キャン」

何の曇りも無い、純粋な瞳でドンヘは何時もの様に返事をする。もうとっくに会社は始まっているし、今日は完全に遅刻だけれど、別に怒られても構わないやって思った。

ヒョクが走り去った後、牛乳を飲みながらドンへは一生懸命考えた。ご主人様の言っていた素敵な人っていうのは、彼の事なのだろうか。ご主人様とは全然見た目もニオイも違うけれど、何だろう、安心できるような優しさを感じた。うん。俺、あの人の事を待ってみよう。

 

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