キセキ。

ドンヘ‥‥ドンヘ‥‥‥

遠くから俺の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。あれ、此処は何処だろう。真っ暗で何も見えないや。でも、何だかフワフワして気持ちよくて、このままずっと此処で眠っていても良いかもしれない。ドンヘがぼんやりとそんな事を考えていると、不意に頭の中に、聞き覚えのない男性の声が響いてきた。

「本当に、それで良いんですか?」

「ふえっ?!」

慌てて目を開けると、真っ暗な空間の中でドンヘは独りで漂っていた。ただ一つだけ違うのは、俺が人間の姿になっているという事だ。じっと両手を見て、これは本当に俺なのだろうかと考えていると、今度はドンヘ。と優しい声が頭の中に響いてくる。何となく直感で、声のする方を振り返ってみると、そこには、知らない男性が立っていた。
男性と目が会うと、ニッコリとした笑顔を見せてくれるから、反射的にドンへもニッコリと笑顔を見せる。真っ暗だった空間はいつの間にか明るくなり、四方に鏡が張り巡らされていて、自分が人間になった姿を確認する事が出来た。俺が人間になると、こんな感じなんだ。何だか不思議な気分だ。だって、俺イヌなのに。イヌでも死んじゃうと、こうやって人間の姿になる事が出来るのかな。

「ドンヘ、貴方は死にかけてはいますけど、まだ死んではいませんよ」

「そうなの‥‥?って、あれ、俺、考えていること、声に出してた?」

「いいえ、私がドンへの考えていることを、読んだだけです」

「俺の考えていること分かるの?!すっごいね!!」

鏡の前に立って、じっと自分の顔を見つめていると、男性がドンヘに話し掛けてきた。思ったことを素直に言葉にするドンヘのリアクションが面白いらしく、クスクスと笑みを浮かべている。それは、決してバカにしているのではなく、純粋にドンヘが可愛いなと思ったから。
だって普通、心を読んだなんて言われようものなら、疑ったり、気味悪がったりするものなのに。やはり動物は人間とは違って、心が純粋だ。だから、一緒に話をしていると、自分自身も心が洗われるような気持ちになる。

「ドンヘ、貴方を人間の姿に変えたのは私です」

「え、そうなの‥‥‥?何で‥‥‥」

「ドンヘが、後悔していたから」

「う‥‥‥そうなの。ご主人様が俺に会いに来てくれたから、待ってないといけないって約束したのに、段ボールから飛び出しちゃったの。あとね、俺のことを迎えに来てくれるって言ってた男性が居たの。約束破っちゃったの‥‥‥」

後悔。そうだ、俺は、意識が無くなるまで、ずっと後悔していた。でも、伝えたいことを言葉にしたくても、思うように考える事をまとめる事が出来ない。人間になったばかりで、思考回路もイヌとは違って、非常に複雑だ。それでも、目の前に居た男性は、ドンへの行動の一部始終を、捨てられた日から見守っていたから、十分に理解する事が出来た。

「私はキュヒョン、神です。っていうと、すごく傲慢な気がしてイヤなんですけどね」

「神さま?」

キュヒョンはドンヘにきちんと理解できるように、言葉を選んで優しい言葉で説明をした。人間の姿に変えてあげたのは、ドンヘにチャンスを与えるから。そして、そのチャンスは、今までドンヘの事を大切に育ててくれたご主人様か今日、出会った男性か、どちらかにしか活かす事が出来ない。

「人間の姿になって、どちらかに会いに行って、自分からドンヘだと名乗らずに、相手に気付かせる事が出来たら‥‥‥奇跡を起こしてあげましょう」

「キセキ‥‥‥」

「嗚呼、でもドンへの場合、うっかりで自分の名前名乗っちゃいそうですね。だから、ちょっと記憶を消してあげます。大サービスですよ」

出会いがしらに俺、ドンヘだよ!とか、名乗って終わってしまうなんて、そんなつまらないゲームは無いですからね。なんて、人と動物の運命を決める大切なチャンスをゲームに例えてしまうのは、キュヒョンの悪い癖だ。
ドンヘのおでこをちょん。とつつくと、またふわりと眠気が襲ってきて、ゆっくりと深い眠りにつく。さて、ドンへはどっちに会いに行きたいって願うんだろう。普通だったら、今まで育ててくれたご主人様の所に行くだろうけれど、もしも、今日出会った男性を選んだら‥‥‥

「ドンヘ、私は貴方の事が気に入りました。だから、頑張って自分で奇跡を起こして下さいね」

「ドンヘ!!ドンヘ!!」

ドンヘがヒョクの声を聞いて、ピクリと前足を動かす。そして、ゆっくりと目を開けると、天井が真っ白で、何処かの部屋の中にいるという事に気が付いた。でも、思うように身体を動かす事が出来なくて、もどかしくて、小さい声でクゥ・・‥・・と鳴く。
その瞬間、あれ、俺、人間の姿じゃなくて、犬の姿に戻っているんだって思ったら、神さまに会って人間の姿にしてもらったり、人間の姿になってヒョクに会いに行ったのは、全て夢だったのかなって思う。

「ドンヘ、良かった‥‥‥本当に、心配したんだぞ」

「う‥‥‥くぅ‥‥!!ワン!!」

目をパッチリ開けると、まだ夢の続きでも見ているのかなって思った。だって、目の前にヒョクが居るんだもの。だって、俺‥‥‥あ!!もしかしてコレが、神さまが言っていたキセキなのかな?

「そうですよ」

「ふえっ?!」

ドンヘの頭の中に、またキュヒョンの声が響いてくる。そして、この再開がキセキだと言われて、嬉しくて涙が溢れてきた。キュヒョンが右手でパチンと指を鳴らすと、時計の針が固まって、それと同時にドンヘとキュヒョン以外の人間が、全て固まってしまった。
何が起こったんだろうと思って、周りを見渡すと、キュヒョンと目が合って、ニッコリと笑顔を見せてくれる。

「ドンヘと少し話がしたかったから、時間を止めてしまいました。嗚呼、ドンへは手術の麻酔がまだ効いている状態ですので、動けても動けませんけどね」

「手術‥‥‥俺、だから動けないの?」

「大丈夫、時間が経てば、何時もの様に元気に走り回る事が出来ますよ」

意識はきちんとあるのに、何で思うように身体を動かす事が出来ないんだろうって思ったら、ものすごく不安になった。でも、そんなドンへの気持ちを理解してか、また解りやすく説明をしてくれるキュヒョンは、本当に優しい神さまだと思う。
車にひかれて、足にケガをしちゃった俺は、この病院という所で治療を受けていたらしい。事故を目撃した女性が、直ぐに近くの動物病院に連絡をしてくれたから、命に別状はなかったんだって。もしもそのまま放置されていたら、最悪の場合命を落としていたかもしれないと言われて、ドンヘは初めて自分が取った行動の重さを感じる。
野良犬だと思っていたから、治療が終わったらどうしようかと先生たちが相談をしていたところ、ヒョクが来てくれたと聞いて、また涙が溢れてきた。

「ヒョク‥‥‥」

「私がドンヘに聞きたいことは、たった一つです。どうして、ご主人様ではなく、このヒョクという男性を選んだんですか?」

「‥‥‥ふぇ?」

「貴方には2つの選択があった。今まで貴方を育ててくれたご主人様に会うのか、それとも、ヒョクという男性に会うのか」

時間を止めるという行為は、思っている以上に体力を使う。だから、キュヒョンでも数分が限界だ。また時間が動き出して、みんなが動く前に、キュヒョンはドンヘに質問をした。ドンヘは、一瞬だけうーん。と悩んだような素ぶりを見せたけれど、でも真っ直ぐにキュヒョンの顔を見て、答えた。そして、その答えを聞いて、キュヒョンは満面の笑みを見せた。

「‥‥‥やっぱり、貴方を選んで良かった」

 

Next

Back

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です