キュヒョンの過去。

何処かで助けを求める声が聞こえる。しかも、それも沢山の動物の声だ。ソンミンがたまたま一人で勝手に人間界を彷徨っていた時に、不意に聞こえてきた心の声。その元を探ってフラフラしていると、1つの施設に辿り着いた。そう、そこは保健所だった。人間が自分勝手な理由で捨てちゃって、引き取り先も無く野良になっちゃった子たちの集まる場所。他にも色んな理由があるけれど、彼たちに待っているのは殺処分という厳しい現実。
助けて、助けて、助けて、死にたくないよ、沢山の悲しい想いや怒りの感情があふれてきて、その場で意識を失ってしまいそうになった。この場にはこれ以上居られない。だから、慌ててソンミンは場所を離れる。

「殺‥‥‥処、分」

親友のキュヒョン、その他のお友達、先生‥‥‥色んな人の忠告が思い出される。

「ソンミン、保健所だけは行ってはいけない。これはルールだ。特に君が行ったら、彼らの強すぎる邪心に、純粋な心がやられてしまうよ」

僕たちのお仕事は主に、動物たちを幸せにする事。その中でも上級になると、自分の意思で判断をして、動物を人間に変える事が出来る権限を持つ。でも今の僕はまだ上級じゃない。この間試験に合格をして、上級になったキュヒョンなら、この子たちを助けてあげられるのにな。無駄だとは解っていても、そのことをキュヒョンに話した僕がバカだったんだ。
キュヒョンの視線がものすごく痛い。悪態をつかないで、じっと真っ直ぐに目を見つめてくる時って、本気で怒っている時なんだよね。何がいけなかったかな。えっと、勝手に人間界に一人で行った事?それとも、保健所に行った事?嗚呼、キュヒョンに保健所の子たちを人間にして欲しいってお願いした事かな?

「‥‥‥その、どれも全てですよ」

「酷い!!勝手に人の心を読むのはタブーだよ!!」

「バカな事を考えている場合は別です」

「う‥‥‥」

それからキュヒョンは上級の天使らしく、毅然とした態度で、保健所に行ってはいけないと言った事を忘れてしまったんですか?とソンミンに質問をする。忘れてない。といったら嘘になる。正直言うと少し忘れていた。でも、実際に保健所の近くを通った時に、無理やり入り込んでくる沢山の動物たちの負の意識に引きずり込まれそうになって、いろんな人たちの忠告が思い出されて‥‥‥
っていう俺の気持ちも、どうせキュヒョンの事だろうから、心を読んでいるんだろうな。って思いながら、そっとソンミンがキュヒョンの顔色を窺う。すると、小さい声でキュヒョンが呟いた。

 

「そんな事じゃ‥‥‥いつまで経っても上級にはなれませんよ」

 

ものすごくショックで、無意識だけど涙が零れていた。キュヒョンなんてキライ。この想いは、初めて感じた感情だった。

今まで色んな人にキライって言われたけれど、流石に今回のは心に突き刺さった。しかも、口に出さないで、思い切りキライって念じるなんて、絶対ソンミンも底意地が悪いと思う。俺が心を読むのを解ってて、何度もキライって念じるなんて。
天使が住んでいる国にも、人間界でいうバーみたいな所はある。そんなわけで、何時もの行きつけのバーに行き、バーテンダーのイェソン兄さんに愚痴ると、まぁ当然だけれど、どっちも悪い。なんて、言われたくなかった正論を思い切り言われてしまい、かえって傷付く事になった。兄さんも接客業をしているのだから、そこはもう少しお客の心を読めば良いのにって思う。

「‥‥‥」

そんな思いを念じながら、キュヒョンが無言でイェソンを睨みつける。いや、別に慰めて欲しい訳ではないけれど、それでも少しくらいは同情してくれないと、今回ばかりはなかなか気持ちを切り替えることが出来そうにない。あれ、俺って何時からここまで弱くなったんだっけ。いや、相手がソンミンだからか。
キュヒョンが小さくため息をつきながら、グラスに注がれている真っ赤なワインに口をつける。此処で前に同じようにしてワインを飲んだのは‥‥‥。

「そうだな、確かソンミンに上級試験合格祝いをしてもらった時じゃないか?」

「‥‥‥っ、心を勝手に読まないで下さい」

「お前だって、ソンミンにやったんだろ?」

「あれは‥‥‥っ!!」

上級試験に合格をして、上級天使になって初めて解った事がある。それは、理想と現実は全く違うという事だ。困っている動物たちを沢山助けたい。俺だって昔はソンミンと同じように、上級天使に対する希望や憧れは強かったんだ。でも、実際に与えられる仕事はそれだけじゃない。中には目をつむりたくなるような仕事も引き受けなくてはいけなくて‥‥‥

「ソンミンには、上級試験を受けて欲しくない?」

「兄さ‥‥‥ん」

イェソン兄さんも自分でお店を開く前は、上級天使だったから、キュヒョンの気持ちが痛いほど解る。だからこそ、たまには兄さんらしくという気持ちになったのだろう。普段はあまり人に諭したり説教をするような事は一切しないイェソンが、真っ直ぐにキュヒョンを見つめて、真剣に話し出した。

「キュヒョン、人の上に立つ仕事を任される以上は、キレイなことばかりは言ってられないんだ。だから、お前がソンミンに、上級天使の見て欲しくない部分があるから、わざと試験を受けさせないように酷い事を言ったのは解る」

「‥‥‥」

「ソンミンは天使の中の天使って言っても良いくらい、心が優しいからな。でも、だからこそ、きちんと全てを受け入れて、俺は最高の上級天使になってくれると思う」

キュヒョンの中で、迷っていた心が晴れていくのを感じる。今までこんな事を考えた事は一切なかったけれど、今日初めて兄さんを少しだけ尊敬できた気がする。兄さんがこの気持ちを読んでいたのかどうかは解らないけれど、目が合うと茶目っ気たっぷりにウインクを見せてくれるから、なんだか色々と悩んでいたのがバカみたく思えてきたんだ。

「‥‥‥俺、ソンミンに‥‥謝ってきます」

俺がどれだけ上級天使になりたいのか、キュヒョンが知らない訳ないのに。いや、キュヒョンなりに気を遣っているのかもしれないけれど、流石にもう少し言葉を選んでくれても良いと思う。だから俺も、つい意地悪く、キライって強く念じて、キュヒョンに仕返しをしてしまった。ここ最近、ふと部屋に独りでいると、今まで感じたことのないような黒いモヤが心に浮かび上がる時がある。
これ以上増やしちゃいけない、絶対に抑えておかなきゃいけないモヤ。モヤモヤする。気分が滅入る。誰にも知られたくない、俺の深い闇。こんな闇を抱えているってバレたら、それこそ上級天使になんて一生なれないかもしれない。ソンミンが気持ちを切り替えるために、頭をブンブンと振ると、脳内に変な声が響いてきた。

‥‥‥ソンミン

「わっ‥‥‥!だ、誰?!」

お願い、僕を‥‥‥人間にして

「人間に‥‥‥って、ごめん、俺には出来ないんだ」

大丈夫、ソンミンでも僕を人間にする方法があるよ‥‥‥

絶対に聞き入れちゃいけないって解っていた筈なのに、甘い誘惑に引き寄せられて、小さな心の隙間が無理やりこじ開けられる。大丈夫、今ならまだ間に合う、解っている筈なのに。

 

そんな事じゃ‥‥‥いつまで経っても上級にはなれませんよ

 

別に夜這いをしに来ている訳じゃないのに、どうしてこうも心臓がバクバクするのだろう。ソンミンの部屋の前で、もう何分キュヒョンは固まっているのだろうか。時間が時間なだけに、あまり周りには気付かれたくないから、早くノックをして話をしたいのに、何故か俺の右手は固まっていて、ドアを叩く事が出来ずにいる。キュヒョンは覚悟を決めて、深呼吸をする。とにかく会って、きちんと謝ろう。誰よりも上級天使になりたいって願っている親友の気持ちを踏みにじってゴメン、だからもう、俺の前で泣かないでって。
ドアを数回、コンコンとノックをする。でも返事が無い。こんな夜遅くに、ソンミンがイェソン兄さんの店以外で外出をする事は無い筈だ。万が一すれ違ったとしたら、兄さんから連絡が来るだろうし。

「ソンミン‥‥‥その、キュヒョンですけど、部屋に居ますか?」

ノックの音で俺だって気付いて、無視をしている可能性もある。不意にドアノブを掴むと、鍵は掛かっていなかった。恐る恐るドアを開けると、部屋はもぬけの殻で、窓が全開に空いている。キュヒョンは嫌な予感がして、慌てて部屋を飛び出した。

 

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